1970年代、京浜安保共闘とか連合赤軍とか名乗るカルト集団が発生する前で、3億円事件が世間を騒がしていた頃の話です。大学キャンパスでは、学生会館を拠点にして「ケルンパ、ブント、アオカイ、ミン、赤線Z」などと相互に呼んだセクトがキャンパスを闊歩する時期がありました。
東大安田講堂が落ち、首都圏の大学のバリケード封鎖が次々と解かれていく中、ある大学を占拠していたセクトの中央執行委員会に一本の電話が入りました。
大学の学生会館への外線電話は、大学側の電話交換手が手作業でつないでいた優雅な時代です。アマチュア無線が全盛で、警察無線傍受ぐらいが情報源でした。
そういう環境で闘争委メンバーから外線電話が入りました。キャンパスに機動隊が導入されるという情報です。仲間からの一報を聞き、中執は緊急避難を決定しました。
全共闘は封鎖を自ら解除し、学生会館はもぬけの殻となりました。2~3時間後、誤報とわかり逃げ出した学生が戻ってきてキャンパスの一部は再びバリケード封鎖されました。全学共闘会議中央執行委員会は、この誤報を流したメンバーを「総括」しませんでした。
執行部は、次のようなことを言いました。「学友の行動は、アナキストの本質にかかわることだ。たった10円の電話で、支配体制が変わるような影響を及ぼすことができる。」
誤報によりバリケード封鎖を解き、キャンパスから撤退した執行部の判断ミスを、アナキストの本領とすり替え責任を回避したのかもしれません。
旧民主党政権がメルトダウンの事実を隠蔽して風評パニック回避をはかったのを連想させてくれました。昔々の話です。