202103-125:2011年3月11日14時46分頃

もう10年経ちますが、よく覚えています。
あの日はちょうど外出から戻って入浴しようと湯船にお湯を張っている時でした。
お湯が大きく波立ち溢れ出しました。
キッチンでは冷蔵庫が倒れそうになり、無謀にも倒れないよう支えました。幸い倒れなかったので下敷きにならずに済みました。
深夜になって家族が帰宅しました。
週明けには日本株は大暴落を始め、損切りし損なって含み損がどんどん膨らんで、汗が吹き出し膝の震えがとまりませんでした。今思えばあの震えは余震のためだったかもしれません。

その後は、アマチュア政権が事象と言い換えてメルトダウンを隠し、衛星画像を観た米国とレッドチャイナは核汚染の日本から自国民を脱出させました。
O157のときに厚生大臣だった政治家は感染源と疑われた野菜をうまいといって食べるパフォーマンスをし、こりずに今度は原発事故で核汚染の風評被害が出ている福島の野菜を食べるパフォーマンスをしました。O157とか核汚染物質は野菜の味を悪くするのだろうかと思いました。

11日の1週間前からテレビ局はそろって特集番組を組み、当日を迎えました。10年の節目ということでしょうか、10年たっても復興に道半ばという感じです。日本が未曾有の震災からの復興を全世界にアピールし、人類がコロナに打ち勝った戦勝記念大会として東京2020はどうしても催行しなければ、たくさんの被災者に面目がたちません。

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