61年前の狩野川台風。団塊の世代は小学生でした。
当時は汲み取り式のトイレ、ゴミは家の前の道路に置いたゴミ箱に捨てるという衛生環境でした。裏の大岡川が氾濫して鎌倉街道沿いの自宅は床下浸水。文字通りの汚物が家に流れ込んでいました。トイレットペーパーは存在していない時代で、新聞紙を切って使っていました。情報はラジオと新聞ぐらいで、小学校で校長先生の話、学級担任の話、近所の物知りの遊び仲間の話が情報源でした。子どもですから、自分の家の暮らしぶりが激変しないかぎりすぐ忘れてしまいます。
命を守る行動にでるとか、大雨特別警報などはありません。祖父が建てた2階建ての家の2階は四方が窓で富士山が見えました。強風の日は、家がしなりました。台風の日は、窓に板を打ち付けて固定し、太い角材で室内に筋交いを設置して強風で家が壊れるのを防いでいました。狩野川台風でも壊れなかったのは幸運でした。ブルーシートはありませんので、室内は水浸しです。畳はあげて、時代劇の牢屋のように隅に積んでいました。台風一過で1階は汚物の混じった泥が積もり、異臭。それでも感染症とか体調を崩す人はいませんでした。いまでは想像できない劣悪な衛生環境下で元気に暮らしていました。今思えば、敗戦後の貧しい暮らし、弱肉強食とまでいかなくても、自然淘汰で生命力と良い運に恵まれた者が生き残ってきたわけです。
東日本大震災、福島原発の人災のときは大変な思いをしましたが、今回は15号のすぐあとだったので準備ができ、嵐が通過するのをじっと待つことができました。でも、魔物は油断したすきを狙っています。助けを待っているだけでは手遅れになります。結局、リスク優先です。
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