201909-935:ところどころに昔の面影を見る

夢の跡

伊勢佐木町に松屋・松坂屋・野澤屋があり、元町はマイナー、ダイヤモンド地下街は存在していなかった頃。青江三奈の歌のように、伊勢佐木町の大岡川側の裏通りは親不孝通りといわれ、黄金町は近寄ってはいけない歌舞伎町のようなアンダーグラウンドでした。
黄金町
蒔田公園は、進駐軍のかまぼこ兵舎があり、その後野球場になり、いまは更地の公園です。少し前に蒔田公園から伊勢佐木町、馬車道まで商店街をロードバイクを押して歩いたことがあります。デパートは大昔に撤退済み、通りには商店の代わりにマンションが建っているところもありました。商店の数が減っています。蛇の目食堂とヘビ屋、有隣堂と不二家はありました。ところどころに最盛期の面影を残す伝統的建造物群のような感じです。言い換えると寂れた長い商店街通りです。阪東橋から吉田橋、7丁目から1丁目まで結構距離があります。
ところどころに昔の面影が残っていると、ある時期の横浜でのできごとを思い出します。
昔は良かったとは思いません、団塊の世代ですからいつの時代でも限られたパイを奪い合っていました。昨今、奪い合うライバルの数が年々歳々減っていますので、運良く元気で負債がなければ自分のタイミングで好きなパイを適量つまむことができます。心身ともに健康が一番と思うわけであります、もちろん2番じゃだめです。

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