金言-930:信用しないで常に疑う

サイバー犯罪

先週プラスチックバックに入った宅配便が届きました。革新的な商品の紹介としてアップルのデバイスが並びその次に紹介されていたのが、夜間ドライブで対向車のハイビームの眩しさを解放するというサングラスでした。このショップページでの商品の和文での広告内容は完璧でした。違和感がまったくない商業コピーでした。ネットショップですから実店舗がないのは当然ですし、どこから出荷するかも不明です。一般消費者が安全かどうかを判断するのはセキュリティ対策とか使われている日本語が適正かぐらいです。届いた中華品は著しくお値段以下でありました。届くまでは注文したことに満足していました。注文から発送まで何回か進捗のメールが欧文で届きました。そして届いた商品は全く期待外れでした。サイバー犯罪はこういう風にやればいいのであると学習させられました。土用のウナギを1回多く食べたと思えばいい、まあ、そんな程度の授業料でした。
Y2Kより前の時代、海外との通信がテレックスからファクスに移行する頃。当時は、商いは相手を「信用する」が基本でした。口にもだしました、「俺の目を見ろ。信用しろ。」という極めて不透明な認証方法でした。それが少し是正されて「信ぜよ、されど確認せよ。」になりました。昨今のモバイルネットワーク社会では、信頼モデルは「常に疑い、常に確認する」というゼロトラストになりました。

「常に疑い常に確認する」という方法論は得意ではありません。キレイで夢のある商業コピーは好きです、訴求しているモノに触れる楽しさを門前払いはいたしません。煽られれば喜んで踊ります。そこで自分なりの減災方法は、生活雑貨はamazon、新しいモノはクラウドファンディング、特定ブランドはブランド直営ネットショップを利用するということになります。今回は学習してきた賢明な選択を逸脱しました、そのツケを払いました。
一度反省を言ったので反省は終わったとか、一度合意したからといって過去の問題が、すべて過ぎ去ったのだと終わらせることはできないというのは、個人の暮らしの中では日常茶飯事。韓流商品は門前払いですけれど、自分なりの反省は何回もしています。

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