高校時代に疑問を感じた大学教授の手口

昨今、紙媒体に触れる機会がめっきり減りました。
新聞雑誌書籍などから情報を得ることがほとんどなくなりました。
新規にインストールする高額な編集ソフトやウェブサービス、MacBookProなどについてはマニュアル本を買うようにしています。それも徐々にタブレットで閲覧するようになってきました。
昔は本を貸したり借りたりしていましたが、電子書籍となるとそうはまいりません。タブレットを貸すことはありませんので、貸し借りは難しくなりました。ダイジェスト版がウェブに掲載されていたらそれですませるぐらいです。でも二次資料のうえに投稿者のフィルターがかかっていますので、あまり期待できません。
高校時代、受験する大学を選ぶ際、級友は教授で選ぶといっていました。
当時大学教授は周辺に1人いました。後に学長にまでなった方です。
この人の話は魅力がなかったことだけ覚えています。
40分ほどの話は、いつも先人たちの引用で組み立てられていました。
ご自分の考えは、だれだれもこう言っているとかいって、権威付けをしているようにお見受けしました。ということで、この大学は選びませんでした。

勤め人になると、少し変わりました。会議でだれかが切り抜きや資料を話題にすると、かならず出典を確認しました。新聞記事の切り抜きなら、いつの何新聞かを問いました。
何かを提案するときは、合理性妥当性優位性などを裏付けるデータが求められるので当然です。
ということは、高校時代に疑問を感じた大学教授の手口は、正当な理由があったのかもしれないと、ようやく理解できるようになったわけであります。

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