202107-383:横浜市南区の蒔田公園の昔話

米大リーグでショウヘイ・オータニが大活躍しています。
日本人選手とか東洋人とかの地平ではなく、本場の米国大リーグの地平で結果をだしています。
Yahoo!ニュースではショウヘイ・オータニが今朝もホームランとか二刀流とかマナーとか気配りとか満点の評価の記事と、コロナ禍での東京2020の無謀さ、それに400万円踏み倒し親子の動きのない動向と、この3テーマでページが連日埋まっています。
とりわけ、二刀流で国内のプロ野球や相撲レスラーの試合がかすんでしまっています。

半世紀も昔、横浜市南区の伊勢佐木町通りの突き当たりに位置する蒔田公園が、進駐軍のカマボコ兵舎の跡地に野球公園として整備された頃の話。
コンクリートの観覧席と野外イベントのステージになる舞台がありました。ここは、横浜開港記念仮装行列の終点になっていて、ステージ前が最後の見せ場でした。山下公園から馬車道、伊勢佐木町、お三の宮と結構長い道のりでした。思えばみんな元気でした。今なら熱中症やら過労やらで、コメント屋や有識者や専門家に大変心配される行程です。
ちなみに、通りの左の岡側には大岡川が流れ、川っぷちには小此木材木店の大きな看板がありました。

野球は非公式ゲームなら3面はとれたので、週末は軟式野球大会がいくつもありました。
そして月曜の早朝は観覧席の裏の草地にたくさんの真新しい軟式試合球が転がっていました。前日、日没でファウルなどの球が見つからずに放置されたものです。
これを毎朝散歩で拾いに行くと、結構な量になります。
当時は各町内に軟式少年野球チームが結成されて盛んに町内対抗試合などがありました。小中学生は放課後、蒔田公園で野球やソフトボールで日没まで遊ぶのが主流でした。
というわけで、ボールの需要は高く、拾い集めた真新しい試合球を無償提供すると、チームでは野球が下手でも一目置かれる存在になれました。
資産家のおぼっちゃまの父兄が寄付するボールと違い、紐付きでないことが歓迎されたような気がします。家に帰って家族に野球の試合にでることができたと自慢すると、拾ったボールのおかげだろうと、笑い話になりました。
昔はよかったというエビデンスです。

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