202005-185:どの終わりにも新しい始まりがある

70年代初めの頃、東大日大はじめ全国のキャンパスに構築されていたバリケードが崩壊していく中で、ガリ版印刷のチラシによく書かれていたフレーズがありました。
「始まりとしての終わり」「終わりとしての始まり」
意味はよくわかりませんが、キャッチ22みたいなニュアンスがあったような気がします。

先日見た米国ドラマのセリフにあった「どの終わりにも新しい始まりがある」は、天下大乱のわが国でも中華ウイルス終息はやがてやってきます。100円ショップの棚にマスクがたくさんならび、スーパーにはトイレットペーパーや消毒用アルコールがあふれている、そういう需給が反転したときに、コロナが終わりあたらしい始まりがやってきます。

新しい始まりですから、今年の中華圏の旧正月以前の状態に戻るということではありません。不要不急の外出自粛がなくなっても、すでに不要不急以外の外出のために支出するカネも体力もないかもしれません。感染して健康寿命が尽きてしまっているかもしれません。自然災害ではありませんので、建物もインフラも物理的に損害はありませんが、生き物が暮らす衛生環境が変わっています。新しいウイルスの発生と拡散に備えた新しい暮らしの始まりとなります。生き残ったヒトにとって、きれい好きとか潔癖症とかいうのがありふれた日常になります。

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