202401-017:昭和の「当たり前」は令和の「不適切」

1986年の昭和と現在の令和との間のタイプスリップコメディの初回を見ました
確かにあの頃は公共交通機関では喫煙が当たり前で座席には灰皿がついていました
新幹線の肘掛けには灰皿が仕込んでありました

横浜の実家で祖母がタバコ屋を営んでいました タバコはよく売れました ハイライトが生まれる前後です タバコは20個いれの薄いボール紙の箱にはいっていて箱は蝋引きの紙で包まれていました 店先では10個入れ5個入れのカートンに詰め直しました カートンで売れました 陳列ケースにはプライスカードはありませんでした タバコは専売で町のタバコ屋も許認可制でそれぞれの店は一定の距離がありました

ドラマで野球部監督が生徒を並べて体罰をするシーンがあります 体罰は教職員の特権でした 殴る教師は教育的指導といい殴られる生徒とその父兄は学校というのはそういうものだと当たり前に受け入れていました

そういえば小学校時代 掃除当番中に廊下を走ったとかで職員室に呼ばれ担任に長時間の小言の後お約束のビンタをくらいました 年に3回は頂戴しました
昭和平成が終わると殴った教師も鬼籍入りしました 同窓会でいつか昭和の当たり前を担任教師に一言申し上げようと思っていましたが叶いませんでした 令和の常識が昭和に通じることはありませんし時効です 

体罰とか教育的指導で当時の社会が期待される少年が育まれていたのは確かなことですし 殴られても逆恨みすることはありません 順番に子供が大人になり教育的指導も引き継がれていくと思っていたので我慢できたのでしょう ところが昨今何とかハラスメントとかいわれ体罰も喫煙も反社会的行為に変わりました やはり小学生のときのビンタのお礼参りは叶いません

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