金言:264:そこそこ

「そこそこ」とは、広辞苑によると、少ないが満足できる程度、辛うじてそれくらい
の意を表します。この言葉を能力などの評価に使うと、否定的なひびきを感じます。

まもなく、子どもたちの2学期が終わります。
某公立小学校の教師が、1年に1回実施されている担任児童の父兄との面談で、その
児童の評価を「成績は、そこそこ」との評価を父兄に伝えました。その言葉を聞いた
母親は、こんな教師が担任かと思うとがっかりしました。昔の5段階評価の通信簿に
読み替えると、4より5のほうが多い評価をしている児童に、「そこそこ」と口にす
るのは、いかがなものかということです。親は、「そこそこ」の自分の子より成績が
上の子が同級生の半数程度いるのかと思います。公立小学校では、一番理解の遅い子
のレベルに合わせたゆとり教育をしているようなので、もしかしたら、今の「あゆみ
」という通信簿は、全員「よくできました」の評価になるのかもしれません。私立小
学校に比較すると、公立の児童の成績は全員、そこそこという、厳しい現実なのかも
しれません。

父親は、「そこそこ」などという不適切な言葉を無神経に口にする教師に、なめられ
てはいけないと、子どもに教えます。格下の輩になめられるのは、すきがあるからで
、実社会では、不利益をこうむるリスクが生じます。スポーツの試合で、格下の相手
に苦戦したり、手加減を加えたりするのは、選手としての寿命を縮めるおそれがあり
ます。勝てるゲームは、圧勝すべきです。常勝を期待される有力選手でも、格下選手
と接戦で勝ったときは、疲れが残ってしまい、次の試合では、より厳しいゲーム展開
になることが多いのです。

◆あとがき

昔は良かったと思う高齢者が今年は多かったのではないでしょうか。
郵政民営化、耐震強度不足のマンション、いじめを苦にした子どもの自殺、自治体首
長の談合関与など、去年までは天下りだけですんでいたのに、今年は、いままで存在
し黙認されていたことまで責任を問われ、一部の人たちにとっては既得権が脅かされ
ています。

少し前までは、天下りは永年勤続の公務員にとっては当然の待遇でした。社会は天下
りを制度として認めていました。ところが、年金制度の崩壊というサプライズのなか
で、国民の税金を浪費するとんでもない公務員という図式がメディアで毎日のように
報道され、古き良き時代が終わってしまいました。昔なら、代議士先生が利権で稼ぐ
のは特権であり、特権を味わいたい若者は努力をしてその地位を目指しました。公務
員は、30年以上、まじめに勤め自分に順番がまわってくるのをじっと待ちました。
鶴の一声はその組織のトップになった者に付与される権力の一部でした。今までどお
りが通用しなくなった事例が今年はずいぶん増えました。

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