金言−592:ecumenical

ローマ法王が異例の退位をして南米出身の新法王が誕生しました。世界が直面して
いる問題への取り組みが前法王より多く期待されているようです。

我が国は、大陸から尖閣トラブル、半島からはミサイル、米国からは沖縄とTPP、
欧州からはキプロス債務不安などの問題を抱えております。

エキュメニカルという動きが20世紀にありました。キリスト教相互のみならず、よ
り幅広くキリスト教を含む諸宗教間の対話と協力を目指す運動でした。確かエキュ
メニカルというのは教会一致運動と日本のプロテスタント教会は言い換えていたよ
うな覚えがあります。キリスト教界では、プロテスタントとカソリックの対話と和
解・一致を目指し、さらに日本では仏教界との対話などがテーマでありました。

1970年代にはこの運動の存在感が希薄化しました。
他セクトや異なる宗派宗教への寛容で友好的な意思表示をするこの運動は、我が国
では少なくとも2つの外的要因で多くの若者の支持を失い、なし崩し的にこの言葉
は使われなくなりました。

一つ目は、東大・日大を頂点とした学生運動のデリイバティブな動き。
ミッションスクールの全学共闘会議系の学生がキャンパスでの活動を、週末に教会
に持ち込みました。牧師を相手に団体交渉まで展開した結果、教会一致という友好
的な雰囲気は消滅しました。

二つ目は、政党までつくった新興宗教の台頭。
この仏教系宗教集団は、折伏という非寛容な伝道活動(勧誘)を実施し、またたく
間に基督教を超える熱狂的な信者を獲得しました。既成宗教が約束しなかった現世
御利益を保証することで、中産階級までの日本人の支持を得ることに大成功しまし
た。この現世利益と他宗派に対する情け容赦ない非寛容な布教活動が、対話と和解
という寛容でゆったりとしたエキュメニズムを駆逐しました。

一つ目の流れを作った人たちは年金生活を送っています。
二つ目で活躍したほとんどの人たちはすでに鬼籍に入っています。

それでは、あの頃のエキュメニカルはどうなったのでしょうか。
だれでも対話までは受け入れることはできますが、一致や融合は超えられない一線
として留保されるのが人の世の常なのかもしれません。

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