ある先輩が宴席でいいました。
「彼は吉本を徹底的に否定しているが、それは本人がいない席だからいえるのだ。本人を前にして、内容的に批評などできるわけがない。前後関係や背景などを無視し、特定の部分だけを切り出してコメントしているだけだ。ジャーナリストを自称して、著名人のあげあしをとって生活費を稼いでいる評論家・レポーター・コメンテーターと同類である。話題にされた本人にとっては、知らないところで、的外れな評価を受けているわけだ。否定的な評価をするなら、本人をこの場に連れてきて、本人を前にしてコメントしてもらいたい。きっと目の前で本人に反論されたら困るにちがいない。」
この先輩は日本共産党や消滅寸前の政治家集団の街頭演説を耳にすると、つぶやきます。
「政権担当者と直接議論したことがあるのか。大企業の経営者が語るビジョンに面と向かって反論できるのか。大企業が儲かることは庶民の個人投資家にとっては、株が値上りし配当が増え(キャピタルゲインとインカムゲイン)、ありがたいことなのだ。団塊の世代の個人投資家と話しをしたことがあるか。」
反論はその時その場で行われなければなりません。事実は当事者にとって発生した空間、時間での刹那の事実であり、その場を共有していない者にとっては事実ではないかもしれません。現場で発信した情報は、直接現場で受けた者にとって意味があることが多いのです。後日複製した情報に触ってする評論家の後講釈に対して、発信元が反論することには限界があります。反論もその時その場で、直接しなければ効果は期待できません。
少なくとも否定的な批評は直接本人がいる場で、返り討ち覚悟でやってもらいたいものです。
コメント屋の仕事もAIに移行となれば、豊富な過去事例と未来予測を属人的な偏見と独断と無縁な地平で検索しコメントを3次元で瞬時に精製してくれることでしょう。
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