再建中の西武グループに60億円の貢献をした松坂投手は、赤靴下入団記者会見で「
家族」を第一優先にした発言をしました。欧米と同じように、日本人スポーツ選手が
まず家族を優先する立場を明らかにするようになりました。
思えば、1980年代、日本が米国との経済戦争にまだ負けていなかった頃、欧米の
グローバル企業のリーダーは、家族を優先する立場を公言していました。配偶者や子
どもたちに気をつかうのは、レディーファーストと同様、大人のお約束ごとでした。
某欧米大企業での事例
1)南ア転勤を断り、同業他社に転職したA氏
転勤を断ったのは、家族の反対があったためでした。米国で家族と暮らしていたA氏
の勤め先がヨーロッパの企業に買収され、本社機能がドイツ本社に統合されました。
そのため、経営幹部は米国からヨーロッパに転勤となりました。もちろん、拒めば、
居場所はありません。そのため、A氏は、家族を残して単身でヨーロッパに行きまし
た。2年後、南アの子会社社長の話がありました。今回は、家族との暮らしを最優先
し、米国に本社のある同業他社に転職しました。
さらに2年後、この米国の会社が英国企業に買収され、本社機能が英国に移ることに
なりました。すると、この人は、同業で米国に本社のある別の企業に転職しました。
理由は、家族と離れて暮らすことを拒んだからです。家族とともに、米国を離れる選
択肢はこの人にはありませんでした。
2)デンマークを選んだネイティブアメリカン
チェロキー族の血を継承する男性で、映画「氷の微笑」が上演された当時、その主演
女優とハイスクールの同級生だといっていました。この人は、前述のA氏の部下でし
たが、勤め先が英国企業に買収された時はA氏と別れ、ロンドンに移り、英国人の上
司の下で働きました。すぐに米国在住のフィアンセを呼び寄せ、結婚しました。英国
企業に買収された会社は、A氏が去った4年後に、今度は米国人投資家に売却され、
本社機能は米国にもどりました。その間にネイティブアメリカンには子どもが2人生
まれました。彼らは、A氏と違い、米国には戻らず欧州の企業を選び、家族そろって
デンマークに移住しました。
3)奥さんに気をつかう英国人幹部
A氏とチェロキーインディアンがいなくなった英国の会社の親会社のオーナーは、今
流行りのM&A戦略で巨額の現金を手に入れたユダヤの商人でした。この商人は、ユ
ダヤ系の人材を重用したので、スコットランド人経営幹部は苦労したようです。その
ひとりが、チェロキーインディアンの上司でした。この人の奥さんは4人目でした。
日本のビジネス界で離婚がまだ市民権を得ていない頃のことです。セールスミーティ
ングの後のプライベートの夕食の席で話題になった離婚3回は、レアケースではあり
ませんでした。欧米人の男性にとって、離婚はビジネスキャリアに傷がつくものでは
ありません。
意外でしたが、「ホモ」であるとの風評が昇進に影響するとのことでした。
3回離婚したスコットランド人は、何かにつけて夫人を同伴しました。家庭より仕事
を優先したい日本のエコノミックアニマルは、ビジネスシーンに夫人を同伴するのは
、公私混同のようで日本ではなじまないと感じていました。そこで、質問しました。
「そこまで夫人に気をつかっても、夫婦関係が破綻してしまうのはなぜか」
答え「できる限りの努力をしなければ、4回目の夫婦関係が保てないからだ」
ロンドンのパブで垣間見た欧米人の家族観は、15年以上経った今日、日本社会で特
別なことではなくなったような気がします。「欧米か!」というところです。
◆あとがき
公明党の支持母体である団体は、成長期には強引な布教活動をしていました。信徒は
、他宗派を邪宗・邪教とよび、強固な排他的な集団を形成することで成功しました。
公明党が世に出る前から、布教活動に積極的に参加していた婦人が、離婚した異教徒
の甥に対して「お前はすべてを切り捨てる」と、妥協しない生き方をとがめました。
邪宗・邪教の異教徒を容赦しなかった人たちにいわれたくない言葉ですが、もしかし
たら、選挙対策で、すでに布教活動の方針変更がされているのかもしれません。戦後
、違法な反権力闘争をしていた地下組織が合法活動に転換して、国会に代表者を送り
出している時代ですから、あの人たちの軟化も想定内ですね。