1972年札幌オリンピックの70M級(現在のノーマルヒル)ジャンプで、日本
のジャンプ陣(笠谷幸生、金野昭次、青地清二)がメダルを独占して以来、冬季オ
リンピックやワールドカップ等で日本のジャンプ陣を「日の丸飛行隊」と呼ぶよう
になりました。
メダルを独占した当時、仲間と同じように飛べずに落ちこぼれたジャンパーがいま
した。その人は、スキー場経営を事業の一つの柱とする大手リゾート開発会社で、
スキー関連事業部で定年まで首位の座をしっかりとキープしましたが、周囲は、あ
の日の失速を忘れさせてくれなかったようです。ここ一番の大事な意思決定のとき
、トップはひのき舞台での失策を口にし、不安が念頭を去らないと、当の元飛行隊
員から聞いたことがあります。
ショートプログラムで1位の選手は金をとれないというジンクスを、東アジアの半
島の選手はみごとに覆してくれました。控え室かどこかで、助走なしでその場で3
回転をした光景をテレビで見て、驚きました。3回転半1回より3回転連続2回の
方が、インパクトがあったわけです。日本選手は3回転半を2回成功させましたが
、大差で銀でした。3回転半2回という記録を残すことを優先したため、ノーミス
でまとめたライバルに負けてしまいました。
昔、見かけに難ありながら、3回転半1回成功でメダルをもらった日本人選手がい
ました。今回はその先輩に比べれば金メダル間違いない見かけと実力を備えていま
したが、東アジアの半島の選手はそれ以上のパフォーマンスを発揮しました。
銀メダルをもらって、あのミスがなければ金と後悔したことでしょうが、ライバル
選手がミスをしてくれたらと思うのと同じことです。「もしもあの時」と考えてし
まうのは、仕方のないことです、次に金をとるまで何回も思い出してしまうにちが
いありません。
もし次の五輪で金をとれなかったら、1972年の日の丸飛行隊員と同じように、
この選手はこの先40年も50年も先週のバンクーバーでのミスを思いだすことに
なるでしょう。
今までメダルもとれず、今回は参加もできなかった人たちがコメント屋さんの仲間
入りをしていますが、そういう人たちには見ることができない壁の向こうを見たの
ですから、幸せな選手です。銅でなくて良かったラッキーだったと喜びましょう。