金言-199:同期会

小学校から大学まで、また企業やグループなどいろいろな場面で出会った仲間が定期
的に懇親の集まりを開いています。「ドラゴン桜」の某国立大学の卒業生たちは、頻
繁に各種各界の名士として同窓会に集まり学閥の恩恵を分かち合っているそうです。

先日、高校の同期会の案内が電話でありました。
卒業生名簿からたまに物売りや選挙がらみの電話がありますので、今回もその類かと
思いました。同期といわれても、名前も顔も思い出しません。
団塊の世代は、小学校高学年から同世代の競争に巻き込まれました。同期はライバル
です。「受験生ブルース」の一節にあるように、テストの結果は良くなかったといっ
て相手を油断させるなどというのは、本能的に身に着けた思考パターンでした。仲間
で仲良く勉強し全員そろって志望校受験にパスするなどという意識はありません。募
集には定員があるので、だれかが合格すればだれかが落ちます。自分だけは大丈夫な
どと正常化の偏見(災害時に自分だけは大丈夫と思い避難をしないこと)を持ったス
トレスフリーの受験生は身の回りにはいませんでした。

一方、競争に参加しない人がいました。洋服屋、帽子屋、本屋、ふとん屋、パン屋な
どの経営者の子弟は、受験戦争には参加しません。勉強をしないとか受験をしないと
かではなく、目標とする学校に入るために必要な準備をし、きっちりと入学し淡々と
卒業していきます。彼らは家業を継ぐために必要なことをやっています。それに対し
て既得権をもたない勤め人や使用人のこどもは、互いに切磋琢磨し、親より上を目指し
ました。
もちろん、今でいうニート予備軍はいました。そういう人たちは影がうすい存在でし
た。同じように遊んでいても、若旦那の余裕とは違いがありました。

このような世代では、少なくとも卒業後数年間は同期会に魅力を感じません。やっと
パスした受験を終え、つかの間の青春キャンパスライフを楽しんだ後、入社した職場
で沢山いるライバルや浪人生のような先輩社員としのぎを削ることになります。何年
か経過して、ある程度自分の将来性がわかるまでは、高校の同期と会うために時間と
費用をつかう「心のゆとり」はなかったのではないでしょうか。

いまや、2007年問題を端緒にして、明日はわが身になりました。何年か前、初め
て高校の同期会に出席して驚きました。当時大人だった先生たちと教え子の自分たち
が外見にそれほどの差がなかったのです(恐らく知力、判断力にも)。中には、当時
の若手教師と間違えられた卒業生もいました。

高校の恩師の方々が、当時何を教えてくれたか覚えている教え子はほとんどいないで
しょう。同じように高校時代に読んだ本、見た映画、友人との話などで何を学んだか
すっかり忘れています。

某校長先生が、いいました。
「校長が話した内容を記憶している生徒はいないが、同様に、その子たちは当時何を
食べたかも覚えていないと思う。両方とも、子供たちの成長には必要なものであった
ことは間違いない。」

◆あとがき
本日は衆院選挙の投票日です。
立候補者の中には、既得権保守の年寄り、国政の場に地方のエゴを丸出しにするオネ
ーチャン、弱い者の味方だといって国民を扇動する大衆運動主義党員などが紛れ込ん
でいます。いろいろな人が混在していること自体は言論思想の自由が保障されている
という証明ですのでよろしいかと思います。
しかしながら、こういう輩が生き残ってきたのは、「声なき声」だなんていわれて白
でも青でもない棄権票を投じてきたノンセクトの人たちのおかげかもしれません。

今回は、立候補者がいう改革なるものに同期して、投票者も変わるかもしれません。
議会に白票と青票があることが広く知れ渡りました。とんでもない輩が代議士先生に
ならないように、1票投じて、支払う税金の元を取りたいものです。

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  1. みやぞん
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