201901-21:平成7年早朝の大地震。

平成7年早朝の大地震。
あの時、震度10という速報があったことを覚えています。
倒壊した高速道路は5年ほど通勤に利用していました。
震災の1年ちょっと前に東京に拠点を戻したのでラッキーでした。
当時、御堂筋沿いの会社に転職するか、それとも東京に戻って求職活動をするかという選択肢がありました。大阪の会社には役員待遇のオファーがありました。理由は忘れましたがおいしいオファーを断り、エグゼクティブフリーターを選びました。漠然と起業をイメージしていました。
稼ぎは激減しましたので衣食住を収入に見合うレベルにダウングレードしました。大震災はそういう時に起きました。目先のカネを選んでいたら、致命傷を免れたとしてもライフラインを断たれ、厳しい環境に追い込まれていたはずです。ローンで不動産を取得していれば、二重のローンが発生したかもしれません。

風化を心配する人がいますが、被災者にとっては風化はありえないと思います。
大正時代の関東大震災を経験した祖母は亡くなるまで、地震があるたびに裸足で外に飛び出そうとしました。孫が日没過ぎても帰宅しないと怒りました。心理学の用語でなんとかといいますが、祖母には忘れたくても忘れられない恐ろしい出来事でした。その後、米軍の空襲で家を焼かれましたが、大震災に比べて身の危険を感じなかったようです、きっと防空壕に避難したのでしょう。空襲は事前に警報が鳴り、避難できましたが、大地震にはなすすべもなく、大変な苦労をしたことと思います。

災いがたくさんふりかかった平成時代、残りの4カ月は人々が穏やかに暮らせるよう願います。

関連記事

  1. バッタ
PAGE TOP