金言−590:あれから2年がたちました

311東日本大震災は信じられないくらいに悪いことが重なりました。大きな余震
が治まり、ライフラインが復旧すると、直接の被災地から物理的に離れた地域で暮
らしている有権者の多くは、次第に明らかになる原発事故が人災であったことを知
り、民主党政権とその党首に怒りの矛先を向けました。自民党政権時代に原発関連
で作った儲かる仕組みが民主党政権で暴露されました。民主党がまだ世に出ていな
い頃の昔、O157の時にカイワレ大根を食べて名を売った厚生大臣・原発事故当時の
首相に、失望売りが集中しました。そして、その後の国政選挙で民主党支持は急落
し民社党のような存在感の希薄な政党になりました。

祖母は、地震が発生するといつも顔色を変えて外に飛び出しました。大正の関東大
震災の恐ろしい記憶のためです。その孫としては、阪神と東日本の大震災を経験し
たため、揺れが震度5以上になると、最悪のシナリオが浮かんできます。「三度続
けては助からない」と覚悟します。

英語の形容詞には比較級最上級という変化があります。日常生活では「人生最悪、
人生最良」の瞬間は何回もやってくるわけではありません。その時がやってきても
気がつかず、後から振り返ったときに「あの時がそうだった」というものかもしれ
ません。

もういいでしょう。311が「人生最悪の日々」となりますように。

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