以下の人生パターンは、1960年代の東大安田講堂の落書から始まりました。
連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして倒れることを辞さないが
力を尽くさずして挫けることを拒否する
この落書が存在する1年前に、若者たちが桜満開のキャンパスで笑顔あふれる学生
生活をスタートさせました。それぞれの人生が始まりました。
パターン1
国産大手ウイスキーメーカーの創業一族の令嬢
大学の講堂で学長と学生自治会の団交があっても、キャンパスがバリケード封鎖さ
れても、いつものとおり運転手付きの車で授業に出席し、卒業していきました。夏
になると軽井沢で優雅に過ごす令嬢たちのひとりとして週刊誌に登場していました
。今頃は、もしかしたら、政権交代・業務提携で不透明な近未来を迎えているかも
しれません。
パターン2
大手トイレタリー商品のメーカーの重役の子息
全共闘の闘争委員長になりましたが検挙される前に前線を離脱。卒業後は大手企業
でエリートサラリーマンとして余生をしたたかに過ごしています。
パターン3
単身上京してきた地方の神童
紛争には距離をおき、大手銀行の外為部門に就職し、その後外資に転職しました。
そして米国で集大成のときに、想定外にも、911で殉職。
パターン4
有名都立高校から大学に進み、高給の航空会社に就職。残念ながら45万円の年金
受給には就職時期が5年弱遅かったようです。リストラとチャプターイレブンの渦
中にいます。
パターン5
バブルのときはバブルの甘い蜜に群がり、バブル崩壊、リーマンショックでは荒波
をもろにかぶり、まさに時代と同期して暮らしてきた、しがない勤め人。
この人たちは、振り出しにもどり、安田講堂の落書に再会したとしたら、何を思う
でしょうか。
まさに、これこそ、愚考。