金言-967:ポストコロナは新しい生活様式の始まり

70年代初めの頃、東大日大はじめ全国のキャンパスに構築されていたバリケードが公権力によって崩壊がはじまると、メットにタオル着用の街頭演説では「始まりとしての終わり」「終わりとしての始まり」が合言葉のように頻繁に使われました。意味はよくわかりませんが、いかに負けるかという出口戦略であったに違いありません。

先日見た米国ドラマのセリフに「どの終わりにも新しい始まりがある」がありました。天下大乱のわが国でも中華ウイルス終息はやがてやってきます。感染拡大防止グッズの需給が反転し、100円ショップの棚にマスクがたくさんならび、スーパーにはトイレットペーパーや消毒用アルコールの欠品がなくなったとき、コロナが終わりあたらしい始まりがやってきます。

新しい始まりですから、今年の中華圏の旧正月以前の状態に戻るということではありません。不要不急の外出自粛がなくなっても、リモートワークが浸透し外出は減ります。次にやってくる未知の疫病にヒトは警戒します。緊急事態宣言下で自分の命を守る安全・安心な暮らしとはどういうものかを学習したので、今までの通りの行動も消費もいたしません。相場の占い師はL字回復といい、消費低迷が続くと予想します。

今回のパンデミックが終息したとき、自然災害ではないので道路も建物もインフラも外見はなにも変わっていませんが、ヒトが生活する衛生環境が変わっています。未知のウイルス発生と拡散に備えた新しい生活様式の始まりとなります。ウイルス感染拡大に対抗して生き残ったヒトにとって、きれい好きとか潔癖症とかいうのが行き過ぎた行動ではなくなります。ヒトとヒトとが物理的に接触しないで意思疎通をはかるリモートワークがデフォルトになり、有事に際しては、モノの物理的受け渡しは進化したAIを組み込んだロボットが肩代わりするとか、ウイルスをシャットアウトする車で単独移動するとか、抗菌ウェアにフルフェイスヘルメットに手袋で外出するとかになりそうです。

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