金言-947:あっという間の1年だったかもしれません

2001年12月に「金言」を創刊して以来、休みなく週1回発行し、18年になりました。おかげさまで20年はいけそうな感じがします。読者登録を続けていただき、まことにありがとうございます。来年も引き続きよろしくお願いします。

振り返ると、勤め人の頃の年末は緊張して新年を迎えていました。
最初の職場では、年末年始はイベントが31日の夕方から始まり3日の朝まで続きました。残業代をもらえる階級だったので暮れのボーナスに加えて1月の給料は使いでがあったような覚えがあります。不平不満を感じる暇はありませんでした。
次の職場では毎年12月に翌年の料金改定を含めたグループ各社の営業カタログを発行するチームにいて、12月は休日返上、連日深夜タクシーで帰宅していました。このときは職場長がスタッフ全員の残業手当と未消化有給買い上げ特典をボスに返上してしまいましたので、1月の収入増はありませんでしたが、そのかわりに達成感を楽しませていただきました。
その次の職場は外資でした。ちょうどバブルでした。年収も有給休暇も福利厚生も十分に約束されていました。この雇用契約は2年ごとの更新というところが違いました。我が国の私企業で成果主義がまだ市民権を得ていない頃です、年末は査定があり、満期の1年前に雇用契約の更新がほぼ決まります。雇用の更新がない場合は期限の半年前に告知されます。その更新査定が11月から12月でした。査定が終わるとクリスマス休暇です。当時のスイス国籍のCEOは休暇をアジアで休暇を過ごし、帰路に日本に立ち寄りました。それも元旦からです。この人は早稲田に留学経験があり、独仏英に加えて日本文化にも理解があり日本市場に格別の興味をお持ちでした。オークラの前の施設にトランプさんがやってくるようなもので、年に一度、CEOと一対一で渡り合う正念場でした。
その次はIT業界。ITバブルのおかげで異業種からの転職が可能だったようです。IPOを実現して、スピンアウトしました。社内では、優秀で気の合う営業、技術、マーケティングのプロが思い思いに協業して次々に巣立ちしました。その勢いの中で、自分たちも5人で西新宿にオフィスを開きました。あれから17年。事業主になったからでもなさそうですが、勤め人の頃のような年末の忙しさはありません。どうやら、元旦から通常営業、つまり年間を通じて平常営業という商いが増えたため、年末年始だからという特別期間が事実上消滅したため、元旦は休日として過ごすだけというわけです。一番大きな違いは、損をしない限り仕事を選ぶということです。嫌なことはしない、危ないことには触らない、これで私人も法人も与えられた健康寿命を不本意に短縮させないですみます。

何はともあれ、令和2年は多くの人々にとって良い年になることを祈ります🎶

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