金言−454:昭和46年の「トロイの木馬」

過ぎていった年月のできごとを忘れることなく、しかしながら、それらに囚われる
ことなく、初心に帰りながら生きていきたい。今回は、「昭和46年のトロイの木
馬」に触れる。

相手方の不信と冷静な観察力と経験を積んだ判断力とによって、味方はすでに生命
線を断たれてしまったかもしれない。

木馬の中でじっとしている間に、自らの状況判断の誤りから、活動を再開する時機
を逸し、もはや動けなくなっているかもしれない。とうの昔に出る幕は終わってい
るかもしれない。

かなりの不安とリスクを負って木馬の中でじっと待機している。

敗北の明日に向かって、1971年は寂莫と孤独がおおっている。肉体的疲労の回
復は早い。精神的な回復は容易ではない。重苦しい「ただよい」がニヒルの誘惑を
伴う。

あのときのことをどうして許さないのか。おそらくもう忘れてしまっているような
つまらない言葉を。

思想と行為を分離して、とりわけ後者にのみ言及して裁くことを許さない以上、彼
らの発言を行為との連続において許さない。

トロイの木馬の外部環境は、四面楚歌だ。自らが早晩対決せねばならない敵のただ
なかに身をおいている。この高ぶりは一体どこからくるのだろう。不思議なことに
、内部は心地よい。銃後は最前線より不安なはずなのだが。

木馬の外では、笛が吹かれている。踊っている者がいる。
「内に炎を秘めたる人よ、世界のために立ち上がれ」
そうじゃない。内に怒りの炎がくすぶっているだけだ。

建設的ではないとか消極的だという扇動者は、いつまでもそう叫んでいればいい。
自分たちには聞く耳がない。

時が活躍するものは、忘却のほかに何があるのか。すべてを許し、すべてを受け入
れる。これほどの不信があろうか。原級の怒りを最上級の信頼で表現しよう。

木馬の腹の中で、明日を計算し、歌舞音曲を楽しむ外の世界に怒りの傍観で応えて
いる。

いつか笛を吹く者もいなくなる。その時、「トロイの木馬」の腹を突き破って、会
心の「憤怒の踊り」を踊るのだ。

☆昭和46年と平成22年。それほど変わらない問題意識☆

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