水やお茶がレストランで料金を請求されない飲み物であった頃の話です。冷たい緑
茶は、今ではウーロン茶と同じようによく売れている商品となっています。197
0年代、ウーロン茶やミネラルウォーターは商品化されていませんでした。
1960年から70年代は、ホテルマンがお客様からたくさんチップをもらえた良
い時代でした。宴会部門では、従業員の小宴会が職場で毎晩おこなわれていました
。職場長は部下と一緒に、担当した宴会で残った飲み物(ビールやウイスキー)を
適量まで楽しんでいました。今でいうガス抜きです。接客業は精神的なストレスが
たまりそうな肉体労働です。そこで業務を円滑に進めるためとして、職場での飲食
は、当然あるもの、不可欠なものとして受け入れられてきました。ホテル経営者は
、従業員がタイムカードを打刻した後の職場での飲食を黙認していたようです。
そういう職場で、1972年の春、濃い目にいれた緑茶に氷を加えて冷まし、さら
に氷をいれたゴブレットに注いで、「緑茶のオンザロック」をつくって愛飲してい
た某大手ホテルのボーイ長がいました。十分にアルコールを飲んだあとの口直しだ
ったかもしれませんが、当時このような飲み方をする人はあまりいませんでした。
お茶は冷めたら、不都合がある飲み物でしたから、氷をいれたお茶は、奇妙な飲み
物でした。今では、炭酸飲料より冷たいお茶を好む人のほうが多いと思いますが、
当時はあまり旨く感じない、慣れない味でした。
また、その4年前には、大学のキャンパスを歩きながらアイスクリームを食べてい
る学生を見ました。当時、歩きながら飲食することは行儀の悪いことで、良識ある
行動を常に求められていた人たちには想像できなかった風景でした。さらにその横
では、フリスビーで遊んでいる学生もいました。フリスビーが日本市場で認知され
る10年以上前のことです。
「冷たい緑茶」を好む人たち、アイスクリームを食べながら歩くことが容認される
社会、フリスビーの流行など、初めて目にした時に抱いたのは、違和感でした。も
し、そのとき、これは商売になるかならないかという視点をもっていたら、フロン
ティアとして、利益の分け前にありつけたかもしれません。株屋さんたちの後講釈
と同じようなものですが。