東北地方太平洋沖地震で犠牲になられた方々にお悔やみ申しあげます。
地震があるたびに、顔色を変えて表に飛び出す祖母の姿を思い出します。祖母は関
東大震災を経験していました。
11日の地震は、ちょうど外出先から帰宅したときに発生しました。運よく帰宅難
民にならずにすみました。
冷蔵庫が倒れそうになるくらいの揺れのなか、首都直下型地震がとうとう来たかと
覚悟しましが、自動車事故で経験した、いろいろなことが走馬灯にように浮かんで
くる状態にはなりませんでした。
倒れそうに揺れているモニターを抑えながら、持ち株がストップ安売り気配のまま
午前9時を迎えたリーマンショックのときのような心地でした。
自転車用のヘルメットをかぶって家の中で、じっとしていました。今回は大きくそ
して長い時間揺れました。
第1波のあと、風呂に水をはり、消火用とトイレ用の水を確保しました。
芦屋に住んでいた5年間、毎朝大阪市内通勤に利用していた高速道路が倒壊しまし
たが、あの時も地震発生の1か月前に東京に引っ越して難をのがれました。
今回は、大きな揺れを経験し、非常に怖い思いをしました。
おかげさまで、二次災害の恐れもなさそうで不幸中の幸いでした。