金言−629:刹那を楽しむこと

多感な高校時代、刹那主義=快楽主義として過去や将来のことを考えないで、ただ
現在の瞬間を楽しんで生きればよいとする考え方を否定。以来この刹那主義にこだ
わりを持ち続けていました。今さえよければ後はどうなってもいいと思うことは、
大学受験戦争中のベビーブームの高校生にとっては、敗北宣言であったからです。

父は晩年、天気のいい日に風景写真を撮ることを日課としていました。体調を崩す
前に聞いた言葉は今でも鮮明に記憶しています。「瞬間を永遠にのこす」といって
使い古したカメラをくれました。(カメラを永遠に残すことではないので、数年後
この銀塩カメラは燃えないゴミとなりました)

今この瞬間瞬間を大事に生きることが、お釈迦様が説く刹那主義とのこと。
まもなく、近未来の商売繁盛家内安全事業計画必達合格祈願をお願いするお約束の
お正月がやってきます。賽銭を投げ込み、お値段以上のお願いする人間は聞く耳を
もっていないのでしょうが、商売の神様は「先行き不透明な近未来のことは考えな
くてもいいから、今この瞬間を大事に暮らしていきなさい」とつぶやいているにち
がいありません。

この刹那を楽しむことがプラス転換への仕掛けのような気がします。敗者の言い訳
と若い頃は軽く見た刹那主義ですが、実は刹那の積み重ねが個人史であり、大切な
明日への足掛かりであることに、父の金言から10年以上経過した昨今ようやく気が
つきました。

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