金言-921:小学校の級友の顔も名前も記憶にありません

同窓会

小学校の同期会に初めて参加しました。10年に1度とかの開催なので逃すと次はお迎えがきて逢えない仲間がいるかもしれないというような集まりです。小学校から一度も引っ越ししていない人たちは毎日顔を合わしているので、10年に1回でも問題ないのです。連絡可能なメンバーの約4割が出席してにぎやかでした。 担任の先生は健在でしたがドタキャン、ご自宅で転んで家族の反対で急きょ欠席。この人に会いたくて片道2時間かけて出席したのに誠に残念でした。

円形校舎のセンターホールを掃除当番の時にふざけて走ったという理由でビンタ、近くの成美女学院の裏道の坂で遊んだという理由でビンタ、だれかと喧嘩したということでビンタ。いまなら体罰でトークショーネタなのですが、当時はPTAも公認でした。ふと思ったのは、教師の目が届かないところでの悪さがなぜ担任の耳にはいったかです。近所のおばチャンか同級生か、だれかが通報したのです。子どもの頃の話ですから、どうしてばれたのかと疑問は持ちませんでしたし、行為そのものを否認もしませんでした。30分かそこら説教されて最後にお約束のビンタで一件落着。おおらかな時代でした。この辺のところを、16歳年上の教師と再確認しておきたかったのですがささやかな願いですが叶いませんでした。

それにしても、小学校のクラスメートの顔も名前もすっかり忘れていました。一人二人名前に覚えがあったのですが、現在の顔とリンク全くしません。小学校2年のときに同じ組でよく遊んだといわれても、面影も何にもありません、まったく記憶に残っていませんので。相手に名乗られても、思いだすことができませんでした、記憶喪失というのはこういう状態なのだろうと体験しました。相手が覚えていて自分が忘れているというのは情けない話、申し訳なかったのですがどうしようもありません。 何はともあれ、出席者は、頭も体もそこそこ健康で、人前に出られる容姿を保ち、元気があり、金融業者につきまとわれることも、もちろん官憲に追われる逃亡者でもなさそうです。皆さん出席できたことを素直に喜んでいました。

とっくに失った記憶を何とか取り戻そうと頑張ったので大変疲れました。
次は7年後と幹事がいったので、それでは奥山先生に会えないといったら3年後になりました。3年後に小学校でよく遊んだという仲間たちと会える楽しみがまた一つ増えました。

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