第五部 フレッシュスタート
2004年5月29日創刊

はじめに。
1980年代、当時全盛であったミニコミ誌には縁がなかったのですが、20年後の現在、インターネットのおかげで、個人でもメディアを持つことができる時代になりました。デザイナー・イラストレーター・コピーライターのプロがはきだす紫煙の中で創りあげられてきたクリエイティブな世界に、遠慮がちに踏み込むことにいたしました。

これまでの人生の中で培ってきたことを、WEBを活用して情報発信してまいります。それに触れると、触れたその人のデシジョンが将来変わるかも知れない。これが価値ある情報です。

本編では、第四部情報処理産業の続編であり、次の転職先である外資系ソフトウェア会社での直近2年間の顛末を中心に、「再びアイアコッカをめざして」というテーマですすめていきます。いましばらく、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

145号 2004年5月29日

次なぜゴーンではなく、アイアコッカなのかというところからはじめたいと思います。中東のホットなシーンではなく、まるで過去のインドシナのようなところから一世風靡したステージネームが登場してくるのにはわけがあります。

結成したマネージメントチームが、過去の成功事例をもとにして、現在の会社再建プロジェクトに取り組もうとしたからです。過去に成功経験がない人は、ハイリスクな意思決定場面で、期待されたパフォーマンスがでないことが多いという経験知があります。たとえば、優勝経験はないが予選では最強のチームが、本番で実力が発揮できず優勝経験のあるチームに貫禄負けしてしまうようなものです。後ろを振り向いたらだれもいない、一歩さがったら土俵をわってしまうという瀬戸際で、そういう修羅場をくぐって、しのいできた人たちは強いです。幸運にもそういう経験をしないですんだ人、順風満帆な環境にいた人、リスクを嫌う人、こういう人たちには打たれ弱いところがあることを否定できません。自動車業界で企業再建に名を残したアイアコッカ氏にあやかり、自分たちがいままで蓄積してきた成功体験を原資にして、目の前に現れた赤字ソフトウェア会社再建に投資することにしました。

ヒト・モノ・カネの中で、ヒトに投資をしました。若いとかいう将来性はすぐに換金できないので評価しません。いままでの実績と人脈を重視し、3ヶ月で成果に換えられる潜在的な案件を持っている仲間に声をかけました。日本経済が右肩上がりの時代に一番成功事例をもっている世代は、今の50代なのです。人口が多いので絶対値で、最多であるということでもありますが、ともかく、日本が元気であった時代に、一番元気な世代であったことは事実なのです。なかでも、ベテランのスペシャリストに注目しました。ハローワークに行くと、45歳以上は再就職困難な高年齢者であることがわかります。この流れに逆らい、自分たちの価値をカネに換えようと、なつかしいヒトを思い描きました。それが、アイアコッカです。氏の企業再建の手法には関心ありません、単なるイメージです。

今振り返ると、今回のプロジェクトに参加して、創業者の気持ちが理解できるようになりました。したがって、これから連載していく内容は、サラリーマンを卒業していく過程を説明していくことになるかと思います。いわゆる最後の転職ということです。

◆あとがき

最近、逮捕されたテロリストが日本に滞在していたことが報道され、昔の知人を思い出しました。1970年代、京浜安保共闘とか連合赤軍とかが発生する前で、3億円事件が世間を騒がしていた頃の話です。心ある学生がいる大学では、学生会館を拠点にして、「ケロンパ、ブント、アオカイ、ミン」などと呼んだ集団がキャンパスを闊歩している時期がありました。

東大安田講堂が落ち、首都圏の大学のバリケード封鎖が解かれていく中、ある大学を占拠していたセクトの中央執行委員会に一本の電話が入りました。大学の学生会館への外線電話は、大学の電話交換手が手作業でつないでいた優雅な時代です。アマチュア無線が全盛で、警備の無線傍受による情報収集ぐらいが情報源でした。そういう状況で、下部組織の闘争委員会メンバーから外線電話が入りました。内容は、キャンパスに機動隊が導入されるという速報です。仲間からの一報を聞き、中執は緊急避難を決定しました。あわてた学生は封鎖を自ら解除し、学生会館は、もぬけの殻となりました。2~3時間後、誤報とわかり、逃げ出した学生が戻ってきてキャンパスの一部は再びバリケード封鎖されました。

中央執行委員会の幹部は、この誤報を流したメンバーを「総括」しませんでした。彼は、次のようなことを言いました。「同志の行動は、アナキストの本質にかかわることだ。たった10円の電話で、支配体制が変わるような影響を及ぼすことができる。」今思えば、誤報により、バリケード封鎖を解き、キャンパスから撤退した執行部の判断ミスを、アナキストの本領とすり替え、責任を回避したのかもしれません。

世の中はすでにアナーキーになっているので、アナキストはニュースになりません。現在の脅威はテロリストです。本編編集者は、自身はテロに巻き込まれないことを前提にして、Xデー直後から買われる銘柄は何かと考えています。

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No.146 04年6月5日

コンピュータの2000年問題に対応しているかどうかが、上場をめざすIT企業にとっては無視できない影響力があった頃、即戦力の中途採用をつかわず、子飼いの安価な要員をぶつけて育てていきたいと思っていた社内の勢力が台頭してきました。そうした中で、中途採用組みは、次の職場を探すために野合に近いマネージメントチームをそれぞれ結成しました。会社を立ち上げた金融チームは、所属していた事業部の優秀な技術者の大半を引き抜きました。このケースは、幹部社員の永年にわたる人徳によるところが大きかったと想像されます。

90年代のバブル崩壊後の痛みを、異業種への転職でリハビリしているつもりでしたが、リハビリは負荷をかけて本気でやらないと効果がないことが外的要因と職場の圧力で分かり始めてきました。可能であれば、外資の短命でストレスの多い環境には戻りたくないと希望していたのですが、45歳以上の再就職困難者(ハローワークの表示)にとっては、それが可能ではないということを受け入れなければならないのが実情でした。

そこで、東アジアの半島から日本市場に参入して数年、いまだ黒字転換できない外資のソフトウェア会社を選ぶことにしました。2001年の年末でした。当時は、ブロードバンドの普及率をはじめ、国民レベルでのIT化が日本と比較にならないほど進んでいる国でした。大学生向に徴兵制度があり、兵役訓練のカリキュラムにIT教育が含まれていました。また、IT技術者には兵役が免除または期間短縮があり、国家を挙げてIT化による富国強兵政策をとっている国でした。ブッシュジュニアが始めた戦争では、開戦時にテレビゲームのような爆撃シーンが報道されていましたが、東アジアの半島でも同じことを考えていました。戦争は白兵戦を想定せず、コンピュータを駆使した攻撃になるので、PCを使えない、また情報技術を理解するのに時間がかかる低学歴の青年は徴兵の対象にならないと聞きました。

再生のキーワードは欧米ではなくアジアかも知れないと予感しました。この予感に基づき未体験のゾーンに踏み込むことにしました。

古賀院長のリフレッシュコーナー:休日にたくさん寝ても寝足りない訳

休みの日は、昼過ぎまでしっかり寝ているにもかかわらず、何故かいつも頭がボーッとしていて寝足りない・・・そう訴える人が実にたくさんいます。確かに、『寝貯め』はできないといわれますが、たくさん寝た休みの日でも、やはりまだ寝足りない気がするのは、いったいどういうことなのでしょうか?

この寝た気がしなくて頭がボーッとする感じ・・・海外旅行での『時差ボケ』に似ていませんか?実はこの症状、悪い睡眠習慣によって起きたまさに時差ボケなのです。

例えば、平日の起床時間が7時、休みの起床時間が12時としたら、そこで5時間の時差が生じます。そして、休み明けにはまたいつもと同じ、7時の早起きをして・・・こういう生活を繰り返していると、休みに例えたくさん寝たとしても、「いつもスッキリしない」、「寝ても寝足りない」といった時差ボケのような状態になってしまうのです(実際の生活では、平日も残業やお酒を飲みに行ったりして就寝が遅くなったり、休み前は深夜まで夜更かししたりして、さらに生活の習慣が乱れがちになりますよね)。

休みの日も普段の日と同じ位の時間に起きて、生活のリズムをなるべく崩さないように心がけるようにしましょう(休みの日は遅く起きないで、昼間に一時間程度の昼寝をした方が、日頃の疲れをより回復できます)。

中野坂上治療院 古賀 直樹

◆あとがき

今までの当たり前が通用しなくなるときが来るそうです。報道された情報によると、小学生が遊び仲間を切り殺してしまうという事件が、精神障害による非日常性ではなく、どこでもありうる日常性の中で起きたようです。

常識、ルール、秩序の崩壊が始まっているのです。この崩壊は「先進資本主義国における革命」とかいう暴力的な変化ではなく、市民が「無視」を始めるところから発生し、抗しきれない巨大なうねりとなって、市民社会を変えていくものと想像しています。当事者が当事者意識を持たない、問題解決を無視することによってはかろうとする精神状態です。新種のウイルスにより、沈黙のアナキストが大量発生しているのかも知れません。
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NO.147 2004年6月12日

1999年から2001年にかけて米国発のITバブルが一段落した後、次のキーワードは欧米ではなくアジアかも知れないと予感しました。この予感に基づき未体験のゾーンに踏み込むことにしました。渋谷のビットバレーとよばれた(年長者にいわゆるビジネスモデルを提案してカネを集めたオニーチャンたちの夢のあと)地域は、存在したという事実が記録されるにとどまったようです。こんどは長年の歴史と伝統をいまだに風化させていない新宿2丁目。この近所にオフィスを構えている東アジアの半島から来たソフトウェア会社に転職しました。

2丁目の有名人の一人は、イタリア語で涅槃を意味するレストランを経営しています。毎朝、この店の前を通ります。ウェイターには、きれいな男の子をそろえているので、ランチは年配の女性客が多く目につきます。ずいぶん年取ったはずの本人も元気に料理を運んでいます。この人たちは体力が勝負なのでしょう。門外漢の知識はこの程度なのですが、この程度の知識もコンタクトもなかった東アジアの社会に入り込むことになりました。

この会社が抱えている問題点は、祖国での強みが日本で通用すると思っていることでした。製品紹介を聞いていると、ところどころに日本人が使わない言い回しがでてきます。その時点で、企業の基幹システムにからむ重要な業務(ミッションクリティカルな案件)を任せることに、余分な努力と理解が必要となります。どれだけ流暢に日本語を話したとしても、日本人には違和感があるということを学習できていないのです。金髪の青い目なら許せるのに、同じような顔をしたアジア人には、腰が引けてしまう企業経営者が多いという弱みがあることに気がつかないのです。

米国で同業者を集めたトレードショウに出展し、製品の優位性が認められ受賞したりするのですが、「当社の製品は競合他社製品に比較して優位性があるのに、ユーザに受け入れられない。二流品と評価される。ユーザが欧米企業の製品を選ぶ理由が分からない。」という、トレードショウに参加した半島生まれの技術者の出張レポートを読むと、弱みがすぐ分かります。つまり、ブランドイメージなのです。ブランドには、品質の信頼性がくっついています。企業の盛衰を左右するようなシステムを、無印の良品に任せるリスクを大手日本企業の多くがとらないのです。

我々が提案したコーポレートブランドイメージ向上のしかけは、日本企業開拓には日本人マネージメントが担当するということでした。会社を売り込み、製品を売り込む前に、売り込む人間を相手に受け入れてもらうことが、第1ステップでした。ソフトウェアは、目に見えない商品です。現場の人は、開発案件の結果がどうなるか分からない状況で、発注するのです。世間一般に通用する名の知れたブランドなら、それだけで信用保証となりますが、ノーブランドを選ぶには、担保が必要です。ヒトです。商品は無名で導入実績も少ないとなると、信用保証としての担保は、売り込むヒトということになります。商品は目に見えないので、購買は販売する担当者が信用できるかどうかで決まるのです。

外資企業が日本人マネージメントを特命全権大使として受け入れるかどうかが、結局最後までついてまわりました。日本で展開する銀行や自動車会社の経営者が非日本人で成功しているということとは、大きな違いがあります。東アジアの半島というBグレードブランドイメージがネックになっているのです。

事前調査では、製品に罪はないことになっています。

◆あとがき
「誰も渡らないが、よく見ると信号が青じゃないか!」
誰もが、リスクを嫌い、頭を引っ込めて嵐の通過するのを待っているときに、表にでたら青空が見えているようなものでしょうか。エコノミストや株屋さんの占いを無視して、GW前に全株売却し、連休明けの翌週にその資金で暴落した株式を購入していたら、資産はかなり膨らんでいました。儲けそこなうことを気にするより損切りしたほうが精神衛生上、お得であることを、体で覚えるには時間がかかります。だから、覚えるまで何回も繰り返し、売却損をだしています。
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NO.148 2004年6月19日

経営再建というプロジェクトは、生き残っている旧経営幹部とその取り巻きにとっては、馴染みの環境を進駐軍に破壊されることにつながります。

まず、過去1年間実績無しの営業部員に退場してもらいました。この会社は創業時の赤字プロジェクトの体質をそのまま継続していました。新規顧客開拓のために、利益より売上高に注目してきたようです。2億の売上をあげるために4億つかい、その差額が創業費になったようなものです。オープニングキャンペーンを継続しているコスト意識のない幹部社員が温存されていました。1年間売上の無い営業マンの会議費と出張旅費の明細を見ると、こまめに活動し多額の金をつかっていました。日常のサポートができない遠距離地域に製品説明のために出張をしたり、赤字プロジェクトの顧客に会議費と接待費を頻繁に使ったりしていました。無駄な出費を削減するために、出費を認めた経営陣の経営責任を問う前に、手っ取り早く、その出費をする従業員をカットしました。

数年前に日本市場に参入した外資系法人が、いまだ20人弱の規模で低迷し、赤字を毎年積み上げているのです。だめな企業にはだめな理由がありますが、まずは単年度黒字達成のための救急救命処置が第一のタスクです。

「清濁あわせ呑む」という気持ちをなくさないよう努力しました。古参の従業員を一掃すると、創業時から膨らんできた文書に残っていない約束事、既存顧客のキーパーソンおよび親会社の従業員との人脈などが途切れてしまいます。これまで会社が蓄積してきた負の財産を精査するために、創業以来の情報をアナログでにぎっているメンバーを残しました。しかし大きな誤算がありました。進駐軍の質問に対して、在庫社員は聞かれたことだけしか答えず、いわれたことだけしか実行しませんでした。本人たちの能力というよりは、モチベーションの問題だと理解し、「俺がやるから、お前もやれ」という手法で業績改善と社内のモラル向上をはかりました。

結論はすぐでました。改修工事より改築工事のほうが、効率がよかったということです。腐ったリンゴを新鮮なリンゴの中に残してはいけなかったのです。新鮮なリンゴの鮮度が急速に落ち、腐ってしまうからです。これは何度経験しても繰り返す失敗かもしれません。「清濁あわせ呑む」からです。呑んだ方の体力と気力が萎えた瞬間に、毒が体中にまわって、戦闘力のいっそうの低下をもたらします。次善の改善策は、最古参や、アナログ情報をたくさんもっているメンバーの削除です。(ブービーを残します)

古賀院長のリフレッシュコーナー:しゃっくりには・・・

しゃっくりは、肺の下にある横隔膜がけいれんしたことによって起こる症状です。普段の生活の中、全くの健康体の人でも空腹や、その他の原因によって起きますが、普通はいつのまにかよくなってしまうものです。しかしながら、急性胃拡張や膵臓炎など、内臓の症状が原因のしゃっくりもあるので、何時間も止まらなかったり、しょっちゅう起こったりするようであれば、専門医の診断が必要になってくる場合もあります。

しゃっくりを止める方法は、水をいっきに飲んだり、びっくりさせたりといろいろですが、ツボ療法でも比較的早く治ります。

のど仏から左右外側に指横幅四本分、さらにそこから親指幅分の下にある『天鼎(てんてい)』や、首の前の中央で、両鎖骨の間の窪みから左右外側に指横幅二本分の『気舎(きしゃ)』のツボなどを左右同時に三~五秒ずつ、やんわりと十回くらい指圧してみましょう。次第に症状が治まってきます。それでもなかなか止まらない時は、ツボ療法の後に、おちょこに『お酢』を一杯ついで、それを飲み干してみるとさらに効果があります。中野坂上治療院 古賀 直樹

◆あとがき

今週は梅雨の中休みで、初夏の暑さとさわやかな風を楽しめた1週間でした。最近、DVDレコーダーが良く売れています。一度この快適な画像再生環境を味わうと、もうVTRには戻れないでしょう。売れるにはわけがあり、売れなくなるにもわけがあります。流れに逆らい、モノにこだわるとコストがかかります。新しい酒は新しい皮袋にいれるという知恵は2000年以上前に公開されています。5年前の高級車よりモデルチェンジした最新の大衆車のほうが快適です。VALUE FOR MONEY というわけです。

次号は6月26日に発行します。

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NO.149 2004年6月26日
闘争感覚の違い

前職をやめ、新たな職場で捲土重来(砂をまきあげて荒々しく)を期し、限られた時間と資源(体力と気力かもしれません)を駆使して事業計画を達成することを、メンバーが合意しマネージメントチームができました。ところが目標は同じなのですが、達成するためにかける時間と払う犠牲に関しては、各メンバーにより違いが生じます。これは仕方のないことです。各個人にはそれぞれの思惑があります。

在庫社員にとって新経営陣は外人部隊、占領軍、GHQみたいなものです。新経営陣が投入してくる戦闘部隊によって、不良在庫社員は一掃されることになります。前からいる従業員はこういう不安を持ちます。彼らのなかには生き残るために、占領軍にゲリラ戦、テロを仕掛ける者が出てきます。今回のプロジェクトで新経営陣に欠けていたのは、占領政策でした。儲かるビジネスモデルを提案し、即戦力で成功事例を持ったメンバーによる経営再建というシナリオには、残存勢力の抵抗にどう対処するかという項目がありませんでした。新しい体制で実績があがり社員全員に昇給という恩恵が与えられている限りは、テロは発生しません。ひとたび、右肩あがりの実績が調整期に入ると、内戦の危機となります。この危機管理意識が欠落していました。

危機管理意識の希薄さを示す例としては、相手に手の内を見せてしまうことです。
メンバーの一人が、前の職場が開いてくれた送別会に出席し、元同僚の管理本部長に次の職場の組織(だれが何をしているか)を教えました。本人は、組織体制と人名を前職の人事担当責任者に漏らすことはリスクではないと確信しています。流してしまった事実について、リスクを議論しても意味がありません。ましてや、これによりもたらされた弊害を明確にして、本人の考え違いを正すとか、危機管理意識の強化を狙うという余裕はありません。白兵戦の最中に、レビューボードを開催することはできません。

ベンチャー企業に加わったら、毎日が資金繰りとコンペティターとの戦いです。
既存のビジネス環境のもっとも強固な部分に挑戦して壁を崩していくほうが、誰もやらない隙間をねらうより成功報酬が多額になります。そして、ビジネスモデルの優位性だけでは、勝てません。負けないための危機管理が必要です。無名の小集団が戦うためには、戦闘能力を公表してはいけません。相手がこちらの情報をもっていないことが優位性となります。「人質をとっても要求をしない、テロを仕掛けても犯行声明をださない」ということです。既存勢力の既得権をくずし、少しでも手に入れようとするなら、相手に自分の手の内(戦闘能力)をばらしてはいけません。

サラリーマンとして最後の職場で、緒戦で情報漏えいが発生しました。これがとんでもないことであるという危機意識を持たないメンバーとの、別れのはじまりでありました。

◆あとがき

中国で国営企業を次々と買収して事業拡大をしてきた民間企業集団が困っていると言う話を聞きました。この企業は、中国の業界でベスト10にランクされる大手企業なのですがこのたび、人民政府の突然の規制によりオーナーは頭をかかえています。1万人の従業員から3000人を減らし、ヨーロッパの調達事務所をクローズしたそうです。なんでも、この会社の利益の大半を占める主力製品が突然の規制により販売不可となり、200億円の在庫が不良在庫となったそうです。人民政府は、通過車両の重量規制により高速道路の傷みを減らすことにしたため、重い車両に特化してきたこの会社は販売する車両がなくなりました。中央政府の天下り官僚を受け入れ、金脈と人脈を活用して国営企業を吸収して拡大を続けてきた民営企業が、情報不足の結果、危機に見舞われています。原因が、元官僚の情報収集能力という属人的な問題なのか、人民政府の意思決定の早さと情報管理の優位性なのかは不明です。

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NO.150 2004年7月3日
広告宣伝、広報、IR、マーケティング、コミュニケーション。

大企業の本社スタッフとして上記の業務を遂行していくなかで受けるプレッシャーと、ベンチャー企業、業績不振で経営再建が課題の企業で受けるプレッシャーの違いは、それぞれを体験してみないとわからないことかもしれません。現場にいなければ、その違いは、一時流行した「へエー」ボタンを押す程度のインパクトです。

企業グループの本社スタッフとして、グループシナジーとかコーポレートブランディングとかを「ご老公の印籠」にして、担当事業所から年間の広告費を預かりオーナーの意向を実行するコストセンターに9年在籍したことがあります。この間に蓄積したアナログの暗黙知が自分の得意分野であり、差別化であり強みであると確信し、その後この分野の業務を中心として数社を渡り歩いてきました。会社が替わっても、実際の業務は変わらないので、給料を払ってくれる会社はクライアントみたいなものでした。販売する製品や業界が変わっても、販売促進の手法はそれほど変化ありません。そのときどきの流行にのり、新しいマーケティング手法がでてくればそれをとりいれ、営業力強化に貢献する成果を積み上げていきます。

経営再建のミッションでは、既存のネットワークをつかい、販売管理費をなるべく使わないで効果がでるような工夫をすればいいと考えました。制作物には、品質を落とさずコストを削減できるような仕組みとかパートナーを選び、費用のわりに効果が期待できない広告費は使わないというのはむずかしい仕事ではありません。

誤算があったのは、事業計画を達成できなかったときのことです。限られた予算でしかもなるべく使わないようにして効果をねらうのですから、目に見えるパフォーマンスはあまりありません。そうすると、本社は、売上目標未達成の一因としてマーケティング活動の弱さを指摘します。しかるべき活動をしていないと、本社サイドに攻められます。本社は営業力強化のための施策としてマーケティング責任者の更迭を考えます。

大手企業の宣伝部に在籍していた頃、話題になったのは「即席ラーメンの売上は、テレビコマーシャルの露出度に比例する」ということでした。テレビコマーシャルを減らすと売上が減る、減り始めてからコマーシャルを増やしても挽回するには維持するよりコストがかかるという、CM制作側にとってはおいしい図式でした。企業内でこの分野の業務で収入を確保しているサラリーマンは、減益ではなく売上減を心配し、何もやっていないと評価されないよう、宣伝費を使うことに専念しないとリストラ対象リストの上位にランクされてしまいます。コスト削減はまず宣伝費から、宣伝費削減には担当者も含まれていることを、忘れがちです。

古賀院長のリフレッシュコーナー:部分ダイエット「太もものストレッチ」

季節も夏が近づいてきて、下半身・・・特に太もも辺りが気になって、もうちょっとスリムになりたいと思う人は多いのではないでしょうか。今回は、部分ダイエットの第一弾で、最近の問い合わせが最も多かった太もも周辺のダイエットについてです。

綺麗なレッグラインは、見た目ももちろんですが、健康面の上でも、外反母趾やO脚を予防します。特に、O脚の人は、太ももの内側の内転筋を始め、各種の筋力が弱いせいで、そうなってしまうようです。更にそれが原因によって骨盤に歪みが生じ、腰や背中のこりまで引き起こしてしまうので、体の方も心配です。

そこで、座ったままでも簡単に出来る、太ももダイエットのストレッチを紹介します。まず、イスに腰掛けて、両足を前に出します。次に、その両足の足首部分だけをクロスします(足首は交互に組みかえるので、どっちが上でもよい)。クロスしている時、両膝は少し開いていますね。その両膝を「グッ!」と閉めて(ちょっと足が浮くくらい強く)、約10秒間そのままの姿勢を保つ・・・・これだけです。
この方法は、先の太もものの内側の筋肉だけでなく、外側の筋肉にも効果があります。足首を組みかえて、それぞれ10回以上努力してやっていると、段々太ももの内・外側の筋肉が突っ張ってきて、「効いている!」と実感できます。

ランチの時などに、机の下で(こっそりと)やって、綺麗なレッグラインをつくりましょう。

中野坂上治療院 古賀 直樹

◆あとがき
梅雨の中休みが、続いています。今年は台風が近くに来ることが多いのでそのたびに大雨になり、中休み中に不足した降雨量を調整しているのではないかと感じています。去年のように毎週末雨が降ると、レジャー産業は人出が減ります。一方、毎日真夏日が続くと、暑すぎて外出を控えます。天気が売上を左右する商売をしていると、前夜と当日早朝の天気予報が人出を左右することがわかります。当日いくら快晴になっても、出掛けに「曇り時々雨」の予報がでると、売上が伸びません。天気予報をする人は、観光シーズン中の週末は、台風が迫っているときを除き、予報は晴れでなくてはいけません。行楽地は雨対策をして、雨が降っても損をした気分にお客さまをさせない工夫をすればいいわけです。いくら準備をしても、メディアが出鼻をくじいてはいけません。広告料収入は現場が稼いでいるのですから。

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NO.151 2004年7月10日
「父の転職AtoZ」 完

1945年:敗戦、国家破産

1950年:朝鮮戦争特需

1984年:バブルの始まり

1989年:ベルリンの壁崩壊

1990年:バブル崩壊の始まり

戦後の日本は、朝鮮特需により、壮大な右肩上がりのトレンドがバブル崩壊まで40年続き、その後の景気後退が14年続いています。バブル崩壊から14年経った我が国は「いくらなんでも14年たてば」、というトレンドの歴史的転換点を迎えようとしています。個人史として、本編のテーマである転職は、バブル経済初期にオリンピックを長野に招致するスポーツ産業の動きの中から派生したものでした。転職はバブル経済の初期に始まり、バブル崩壊時とその後のITバブルの発生と消滅、そして現在のトレンドの転換期という節目に、繰り返されてきました。

そしてこの旅もようやく終わりに近づいたようです。

40年続いた右肩上がりのトレンドと「助さん、格さん。もういいでしょう、懲らしめてやりなさい」という台詞がぴったりの14年も続く右肩下がりのトレンドが、2003年4月大底を打ったようです。この歴史の節目、トレンドの転換点で、今までどおりのことをしているわけにはまいりません。(サラリーマンをやめ、法人を設立し、リスクは自分で負うということです)

振り返れば、2001年8月25日、本編第一部を創刊してから、現在の第五部まで、3年あまりをかけて、明日の見えない日本経済の右肩下がりのトレンドのなかで、長く続いた右肩上がりの時代に蓄えた知的資産を切り売りしながら、何とか食いつないできた情況を、「転職」をテーマにして細切れに総括してまいりました。読者登録をしていただいています皆様に、深く感謝申しあげます。皆様のおかげで、きのうを振り返り、今日を暮らし、何とか明日につなげてくることができました。「盛者必衰の理をあらわす鐘の音」を何回聞いたことでしょう。終わりがあることを知りながら、いっとき終わりはないものと思いこみ、終わりを忘れてしまいます。

出会いの連続を人生というそうです。ふれあいに必要なのは自己主張ではなく、譲る心、古典的な、人の徳目といわれる精神かもしれません。そういうことを、この14年で学んできたような気がしています。なかでも、一日でも早く上場することが利益につながるITバブル真っ盛りの頃、IT企業の社員クリスマス会で初めてお会いした方の笑顔は忘れません。その方のお嬢さんが、この秋、明治神宮で挙式されます。このおめでたい情報で本編を完結したいと思います。

長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

「父の転職AtoZ」 完。

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この内容はメールマガジンに連載した内容を転載したものです。
発行責任者:吉野輝一郎
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